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浦和地方裁判所 昭和62年(ワ)571号 判決 1991年1月25日

原告

嘉山將夫

原告

東義二

右両名訴訟代理人弁護士

宮里邦雄

山口広

被告

日産ディーゼル工業株式会社

右代表者代表取締役

川合勇

右訴訟代理人弁護士

成富安信

小島俊明

川内律子

主文

一  原告らが、被告に対し、労働契約上の地位を有することを確認する。

二  被告は、原告嘉山將失に対し、金三四七万三七一五円及び右金員のうち金八九万三四七五円に対する昭和六三年一月一日から支払済みまで年六分の割合による金員並びに昭和六三年一月二五日以降毎月二五日限り一か月金二〇万三一一五円の金員を支払え。

三  被告は、原告東義二に対し、金三五五万七六六〇円及び右金員のうち金九二万九八四〇円に対する昭和六三年一月一日から支払済みまで年六分の割合による金員並びに昭和六三年一月二五日以降毎月二五日限り一か月金二〇万六九四〇円の金員を支払え。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1(当事者)

(一)  被告は、ディーゼルエンジン及びこれを搭載したトラック、バス並びにこれらの補修部品の製造及び販売、訴外日産自動車株式会社から委託を受けた小型トラックの受託生産等を事業内容とする株式会社である。

(二)  原告嘉山將夫(以下「原告嘉山」という。)は、昭和四八年一〇月三〇日、被告の準社員として入社し、昭和四九年七月一日、被告に正社員として雇用されたものであり、入社以来、埼玉県川口市所在の被告川口工場に勤務し、昭和五三年まで同工場内第二機械課10推進区キャリアラインに配属され、大型トラックの部品であるキャリアの機械加工を担当し、同年からは同課60推進区フライホイールハウジングラインに配属され、大型トラックの部品であるフライホイールハウジングの機械加工を担当してきた。

(三)  原告東義二(以下「原告東」という。)は、昭和四七年四月、被告に正社員として雇用されたものであり、入社以来、被告川口工場に勤務し、入社後約二年間は第一機械課に配属され、その後第二機械課に配属されて、昭和五六年四月から同工場内第二機械課09推進区において、大型トラックの部品であるバンジョーの洗浄組み付け作業を担当してきた。

2(解雇の意思表示)

被告は、原告らに対し、昭和六一年一二月三日口頭で、さらに同月五日には書面で、原告らを解雇する旨の通告をし(以下これらを合わせて「本件解雇」という。)、原告らが被告との間で雇用契約上の権利を有する地位にあることを争い、原告らの就労を拒否している。

3(本件解雇前の賃金等)

(一)  本件解雇前の平均賃金は、原告嘉山につき一か月金一九万八四八〇円(そのうち、基本給=金二万六一六〇円、特別手当=金一三万六五〇〇円、資格手当=〇)であり、原告東につき一か月金二〇万二一四〇円(そのうち、基本給=金三万二四三〇円、特別手当=金一三万六〇一〇円、資格手当=四五〇〇円)であった。そして、被告の賃金規則によれば、賃金のうち作業手当を除く部分は毎月二五日に、当月の一日から末日までの一か月分を支払い、右作業手当は翌月二五日に支払うべきものとされている。

(二)(1)  被告は、毎年春に、その従業員で組織する全日産自動車労働組合(以下「日産労組」という。)との間で団体交渉を行い、その妥結結果に従って締結した労働協約に基づき、毎年四月一日から昇給を実施することを慣行としている。原告は、日産労組の組合員であったが、被告は、原告らが日産労組を脱退した昭和六〇年一〇月二日の後である昭和六一年四月からの賃金についても、右日産労組との妥結結果の基準を適用して昇給させていた。

(2) 被告は、昭和六二年四月、日産労組との間で、同月一日以降の賃金について、一般正規従業員一人平均金六一〇〇円の賃上げをすることで妥結した。これは、昇給率二・八五パーセントに相当する。

(3) したがって、原告らの右(一)の平均賃金のうち、基本給及び特別手当の合計額について、右昇給率二・八五パーセントの昇給がなされたものとして算定されるべきである。そうすると、原告らの昭和六二年四月一日以降の賃金は、原告嘉山が金四六三五円昇給して金二〇万三一一五円に、原告東が金四八〇〇円昇給して金二〇万六九四〇円になる。

(三)(1)  また、被告は、毎年七月と一二月の二回、日産労組との間で団体交渉をし、その妥結結果に従って締結した労働協約に基づき、全従業員に対し、夏季一時金及び冬季一時金を支給している。

(2) 被告は、日産労組との間で、昭和六二年の夏季一時金及び冬季一時金について、それぞれ次の内容で妥結した。

(夏季一時金)

支給日 昭和六二年七月三日

金額 一人平均金四五万円プラス四万円

配分 (a)比例分として、基本給、特別手当及び資格手当の合計額に一・六七を乗じた額に出勤率を乗じた額(一人平均金三四万三〇〇〇円)

(b)成績分として、一人平均一四万七〇〇〇円

(冬季一時金)

支給日 同年一二月四日

金額 一人平均金四五万円プラス三万八〇〇〇円

配分 (a)比例分として、基本給、特別手当及び資格手当の合計額に一・六七を乗じた額に出勤率を乗じた額(一人平均金三四万二〇〇〇円)

(b)成績分として、一人平均一四万六〇〇〇円

(3) したがって、右一時金の支給についても昇給と同様に、原告らに適用されるべきところ、原告らの前記昇給後の基本給、特別手当及び資格手当に右妥結結果を適用すると(ただし、出勤率については一〇〇パーセントとした。)原告らの昭和六二年の夏季及び冬季一時金の額は次のとおりとなる。

(原告嘉山)夏季=四二万六三八〇円、冬季=四二万五三八〇円

(原告東) 夏季=四四万三八二〇円、冬季=四四万二八二〇円

(四)  以上によれば、原告らが被告に対して有する昭和六一年一二月分から昭和六二年一二月分までの賃金請求権の額は別紙計算書記載のとおりであり、昭和六三年一月一日以降は毎月二五日限り、原告嘉山は金二〇万三一一五円の、原告東は金二〇万六九四〇円の賃金請求権を有している。

よって、原告らは、被告に対し、雇用契約に基づき、原告らが被告に対し労働契約上の地位を有することの確認を求めるとともに、原告嘉山は、被告に対し、賃金請求権に基づき、金三四七万三七一五円及びこのうち仮払額との差額金八九万三四七五円に対する昭和六三年一月一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金並びに同年一月二五日以降毎月二五日限り一か月金二〇万三一一五円の賃金の支払を求め、原告東は、被告に対し、賃金請求権に基づき、金三五五万七六六〇円及びこのうち仮払額との差額金九二万九八四〇円に対する昭和六三年一月一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金並びに同年一月二五日以降毎月二五日限り一か月金二〇万六九四〇円の賃金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実は認める。

同(二)のうち、原告嘉山が本件解雇時までフライホイールハウジングの機械加工を担当してきたことは否認し、その余の事実は認める。原告嘉山がフライホイールハウジングの機械加工を担当していたのは昭和六一年三月までである。

同(三)のうち、原告東がバンジョーの洗浄組み付け作業を担当した時期については不知、その余の事実は認める。

2  請求原因2の事実は認める。

3  請求原因3の(一)事実は認める。ただし、原告ら主張の平均賃金の算出期間は、原告嘉山については昭和六一年一〇月一日から同年一一月末日まで、原告東については同年九月一日から同年一一月末日までである。

同(二)のうち、(1)の事実は認める。ただし、日産労組は被告の従業員でのみで組織されているものではない。同(2)の事実は認める。同(3)の事実は認め、その主張は争う。昇給制度は、具体的な個人に対して査定による加減をして行う制度であるから、平均昇給率がそのまま原告らに適用されることにはならない。従前、原告らに対しては、その勤務怠慢不良等の勤務実態によって、査定の結果、常に平均を下回る昇給率が適用されている。

同(三)のうち、(1)、(2)の事実は認めるが、(3)の主張は争う。一時金支給に際し、出勤率は個人によって差があり、また成績分は査定によって個人に差が生じるのであるから、原告らの出勤率が一〇〇パーセントであり、しかも成績分について平均額がそのまま適用されることにはならない。従前、原告らの出勤率及び成績分は、常に平均を下回っていた。

同(四)の主張は争う。仮に、被告が原告らに対し、賃金等を支払わなければならないとしても、法令により定められた源泉徴収税額を控除した金額をもって支払額とすべきである。

三  抗弁

1  被告の就業規則には、「やむをえない業務上の都合」があるときは、三〇日前に予告するか、または三〇日分の平均賃金を支給して解雇することができる旨の解雇制限の規定(第六八条一項二号)が置かれているところ、原告らには次項以下において主張するとおり、「やむをえない業務上の都合」に該当する事由が存在したので、被告は、原告らに対し本件解雇の意思表示をし、原告嘉山に対しては平均賃金一八万九四八〇円を、原告東に対しては平均賃金二〇万二一四〇円をそれぞれ予告手当金として提供したが、原告らがいずれもその受領を拒否したので浦和地方法務局に供託した。

2(一)  被告の主要製品であるトラックの業界は、国内、国外の景気悪化、産業不振の影響を受けて競争が激化し、業績が低迷するという厳しい環境の下におかれ、被告も可能な限りの経営の合理化に努めてきたものの、昭和五九年三月期決算で約一〇億円の経常損失を生じるに至った。そのため、被告としては、産業構造の変化に伴う大型トラック輸送から、中、小トラック輸送という輸送形態の変化に対応するため、特に生産体制について、設備の近代化とともに、生産工順の集約及び再編を行うことで、一層の合理化をする必要に迫られる。

(二)  被告は、当時、川口、群馬、上尾の各工場を有していたが、右川口工場は都市化の著しい川口市内にあって住宅地に囲まれ、首都圏整備法等の諸法規制を受けて、用地拡張はもとより既存設備の更新、拡大すら行えず、租税負担も著しく上昇した。そこで、川口工場の生産工程を二分して、群馬工場及び上尾工場に移転して、生産設備の集約及び統廃合を行うとともに、工場の集約及び統廃合によって必然的に生じる余剰人員を削減することが、被告の唯一の生残り策であったことから、川口工場の閉鎖・全面移転を計画した。

(三)  右川口工場移転計画のもとでは、当時同工場に在籍していた約八五〇名の従業員のうち、計算上は約三〇〇名が冗員となる予定であったが、被告は、従業員が川口工場移転に賛成・協力し、転勤に同意する限り整理解雇しない方針であった。そして、人員編成の都合上、転勤に同意するとの意思表示の最終期限を昭和六一年九月とした。

(四)  しかるに、原告嘉山は昭和六〇年六月二一日、また原告東は同月二五日、上尾工場への転勤に同意するか否かについての被告からの意思確認に対し、いずれも転勤を拒否し、川口工場の移転には反対である旨を表明して、川口工場移転計画の発表直後から右最終期限まで移転反対運動を積極的に展開し、右最終期限である昭和六一年九月までに転勤に同意する旨の意思表明をしなかった。

(五)  そこで、被告は、右最終期限をもって原告らを余剰人員と確定し、本件解雇に及んだものであって、本件解雇は、整理解雇である。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1のうち、「やむをえない業務上の都合」に該当する事由が存在したとの主張は争うが、その余の事実は認める。

2  抗弁2(一)ないし(三)の事実は不知。同(四)の事実のうち、原告嘉山が上尾工場への転勤についての意思確認を受けた(ただし、その日は昭和六〇年六月七日である。)こと及び川口工場移転反対の運動をしたこと、原告らが被告主張の最終期限までに自発的に転勤に同意する意思を表明しなかったことは認め、その余は否認する。同(五)の主張は争う。

五  再抗弁

1(解雇権濫用)

本件解雇は、整理解雇としての要件を充足せず、解雇権を濫用するものであるから、無効である。

(一)  被告は、原告嘉山に対しては昭和六〇年六月ころ、上尾工場へ異動するか否かの個別面談を行ったのを最後に、また、原告東に対しては同年三月ころ上尾工場への異動についての意向打診(仮に、原告主張の同年六月ころに右同様の個別面談があったとすれば、その面談)を最後に、以後一切転勤についての意思確認を行わなかった。

(二)  原告らは、業務命令が発せられたときには異動に応じざるを得ないとの意思表明をしていたにもかかわらず、業務命令を出さなかった。

(三)  被告は、川口工場移転計画の発表においては勿論、原告らの所属する第二機械課移転の具体的な内容の発表においても、約三〇〇名の余剰人員が生じる予定であることは一切説明しなかった。また、移転に協力する限り雇用は確保する旨を告げなかったし、協力しない場合には解雇する旨も告げなかった。さらに、川口工場の移転に賛成・協力し、転勤に同意するとの意思表明の期限が移転実施の三か月前であることは勿論、その最終期限が昭和六一年九月であることも説明しなかった。

(四)  原告らは、被告に対し、昭和六一年一一月二〇日、上尾工場への転勤を承諾する旨申し入れ、本件解雇当時においては転勤に同意していたにもかかわらず、これを無視した。

(五)  被告の川口工場移転計画によれば、約三〇〇名の余剰人員が発生する予定であったところ、そのうちの約一〇〇名が退職し、残りの約二〇〇名は上尾又は群馬の各工場で余剰人員として抱えたにもかかわらず、解雇されたのは原告ら二名のみであった。

2(不当労働行為)

本件解雇は、原告らの組合活動を嫌悪した被告が、川口工場閉鎖などを口実にして、原告らを排除するためになされたものであって、労働組合法七条一号に該当し、無効である。

(一)  昭和六〇年三月に発表された川口工場移転計画の内容は、川口工場のほとんどの従業員に対し、単身赴任あるいは長時間通勤を強いるもので、家庭事情等で配転に応じることができない従業員は「自己都合退職」とみなされて、低額の退職金での退職を余儀なくされるという内容であった。

(二)  そこで、原告らは、当時所属していた日産労組川口支部内において川口工場閉鎖反対のための活発な組合活動を展開したが、日産労組は工場閉鎖推進の方向を明らかにした。

(三)  そのため、原告らと訴外恩田和義は、昭和六〇年一〇月二日、日産労組を脱退し、同日、総評全国一般労働組合東京地方本部(以下「全国一般東京」という。)に加盟し、あわせて全国一般東京北部地域支部日産ディーゼル分会(以下「分会」という。)を結成し、同月二日右加盟と分会結成が承認された。

(四)  分会は、結成後、川口工場閉鎖に伴う従業員の不利益を訴え、閉鎖反対等を従業員に呼びかけて活発な活動を展開した。すなわち、全国東京一般(ママ)と連名で、被告に対し、昭和六〇年一〇月四日労働組合結成を通告し、あわせて川口工場閉鎖計画の中止、閉鎖に伴う強制配転の抑制、遠距離通勤に伴う条件改善等の要求並びに分会の組合活動の保障、便宜供与問題についての団体交渉を申入れた。しかし、被告は、右結成通知書及び団体交渉申入書の受取りを拒否した。その後も、分会は、被告に対し、同月九日及び同月一八日に団体交渉の申入れをしたが、被告は、全国一般東京の内部規約の解釈を口実にして団体交渉を拒否し続けている。

六  再抗弁に対する認否、反論

1  再抗弁1の冒頭の主張は争う。原告らは川口工場という特定工場に勤務場所を限定して採用された労働者であり、当該就労場所が消滅する場合であって、しかも転勤拒否の意思を明確にしている場合には、解雇回避努力義務はないというべきである。そして、被解雇者選定の合理性についても、前記のとおり原告らが転勤を拒否したが故に整理解雇したものであるから、人員選定を問題にする余地はない。

(一) 再抗弁1(一)の事実のうち、被告が原告嘉山に対しては昭和六〇年六月二一日に上尾工場へ異動するか否かの個別面談を行ったのを最後に、また、原告東に対しては同月二五日に上尾工場への異動についての個別面談を行ったのを最後に、以後一切意思確認を行わなかったことは認める。しかしながら、原告らは、川口工場移転計画の発表直後から工場移転反対運動を継続し、転勤に同意しない意思を明白に表明していたところ、同意しない限り解雇されることは自明のことであって、原告らもそのことを認識していた。したがって、原告らに対し、昭和六〇年六月以降転勤についての再度の意思確認を行わなかったからといって、なんら信義に反するものではない。むしろ、工場全体の物的・人的設備の移転という大規模な移転計画の策定及び実施にあたり、転勤反対の意思を表明している原告らに再度の意思確認をしなければならないとすることは、川口工場移転計画の実態を無視したものである。

(二) 同(二)の事実のうち、原告らが業務命令の発せられたときには異動に応じざるを得ないとの意思表明をしていたことは否認し、被告が本件解雇に当たって、異動の業務命令を出さなかったことは認める。しかしながら、被告は、異動については業務命令を出さないのを長年の慣行とし、また、業務命令を出したところで、原告らの態度からすれば拒否することが明白であり、そうなれば懲戒解雇に発展するが、そのような結果は原告らにとっても、また被告にとっても利益となるものではなかった。したがって、業務命令を出さなかったからといって本件解雇が信義に反することにはならない。

(三) 同(三)の事実のうち、被告が川口工場移転計画及び原告らの所属する第二機械課移転の具体的な内容の発表において、約三〇〇名の余剰人員が生じる予定であることを一切説明しなかったこと、移転に協力しない場合には解雇する旨も告げなかったこと、川口工場の移転に賛成協力し、転勤に同意するとの意思表明の最終期限が昭和六二年九月であることを説明しなかったことは認め、その余は否認し、その主張は争う。被告は、従業員に対し、移転に協力する限り雇用は確保する旨説明していたし、移転後の人員編成に組込まれるためには、相当早い時期に転勤に同意する旨の意思表明をしなければならないことは、客観的に明白であった。そして、このような事実は、原告らを含む従業員も理解していたところである。

(四) 同(四)の事実は認める。しかしながら、原告らの翻意の意思表明は、川口工場の全職場の移転に伴う最終的な人員編成計画を確定した昭和六一年九月から二か月も過ぎ、移転計画の終了間際になってなされたものであり、上尾工場では原告らを受入れるための編成替えを行い得るタイムリミットをはるかに過ぎていたので、右意思表明の時点では被告の人員配置上、原告らは余剰人員となっていた。そして、原告らは、前記のように、川口工場閉鎖反対運動を行ってきたことから、タイムリミットを越える昭和六一年一一月二〇日の時点で、原告らの翻意を受入れて、余剰人員でありながらなお整理解雇をすることなく抱え込む信頼関係にもなかった。

(五) 同(五)の事実のうち、川口工場移転計画では約三〇〇名の余剰人員が発生する予定であったこと、そのうちの約一〇〇名が退職し、残りの約二〇〇名は上尾又は群馬の各工場で余剰人員として抱えたことは認める。

2  再抗弁2の冒頭の主張は争う。

(一) 再抗弁2(一)の事実は否認する。

(二) 同(二)、(三)の事実は不知。

(三) 同(四)の事実中、被告が全国一般東京の内部規約の解釈を口実にして団体交渉を拒否しているとの主張は争うが、その余は認める。

全国一般東京の規約によると、「本組合は東京地方に存在する労働組合及び労働者で組織する」と規定されているところ、分会は、埼玉県上尾市に本社を置く被告の当時埼玉県川口市に存した川口工場の労働者たる原告らをもって組織するものであり、それが「埼玉県に存在し、東京地方に存在しない」ことは明白であり、分会は、右規約に抵触し、違背し、適法に全国一般東京の組織構成員となり得ないものであり、全国一般東京と分会との間にも適法な上下組織関係が存在しないものである。したがって、分会の団体交渉申入れは不適法である。

第三証拠(略)

理由

第一雇用契約上の権利を有する地位の存否について

一  請求原因1の事実は、原告嘉山がフライホイールハウジングの機械加工を担当していた期間の点及び原告東がバンジョーの洗浄組み付け作業を担当していた時期の点を除き、当事者間に争いがなく、請求原因2の事実も当事者間に争いがない。

二  抗弁について判断する。

1  抗弁1の事実は、原告らについて被告の就業規則で定める「やむをえない業務上の都合」に該当する事由が存在したとの点を除き、当事者間に争いがない。ところで、被告が被告解雇の理由として主張するところは、要するに被告川口工場の全面移転に伴って原告らが余剰人員となったことを理由とする整理解雇であるが、これが右就業規則にいう「やむをえない業務上の都合」に該当するといえるためには、少なくとも、企業の経営上人員整理の必要性があって、その必要性と被解雇者との関連性がある(人員整理の基準に被解雇者が該当する)ことを要するものというべきである。

2  そこで、右事由の存否について検討するに、先ず、必要性の点については、(証拠略)の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 我が国のトラック業界は、昭和五六年ころから構造的不況の様相を呈し、昭和五四年を基準として昭和五六、七年ころには需要が四割近く落ち込み、被告も昭和五九年三月期決算では二十数年振りに経常損失を生ずるに至り、生産設備の集約統合によって、経営の効率化を図る必要に迫られた。

(二) そこで、被告は、企業の効率化の観点から、事業所の集約統合を図り、それを企業構造転換の一つの戦略にすることを企図し東京に二か所あった事務所を一か所に集約統合し、七、八か所に分散していた部品倉庫等を集約し、さらに川口工場の生産設備全部を上尾工場及び群馬(太田)工場に移転して集約統合し、それに伴う余剰人員を削減することにより、人員を合理化して賃金コストを削減することを計画した(この計画全体が「D計画」と称され、そのうちの川口工場の移転を「川口工場移転計画」と称していた。)。この計画によると、当時約八五〇名在籍していた川口工場の従業員のうち、移転後の人員配置上必要なのは約五五〇名であり、計算上約三〇〇名が冗員となる見込みであった。

右のとおり、被告には、川口工場の移転を行って物的設備のみならず人員を削減して合理化をすることについての経営上の必要性があったものと認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

3  次に、必要性と被解雇者との関連性について見るに、(証拠略)の結果(後記採用できない部分を除く)並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 川口工場移転計画によると、前記のとおり計算上約三〇〇名が冗員となる見込みであったが、被告は、同工場の移転に賛成・協力し、転勤に同意する従業員については解雇することなく上尾及び群馬の各工場で冗員のまま抱え、移転後二年ないし三年の間に、定年等による自然退職者の不補充と、新規採用の抑制、新規事業の展開、関連会社への出向等によって余剰人員を解消する方針を立てた。

(二) 川口工場移転計画では、昭和六一年一月から四回に分けて、川口工場と上尾及び群馬の各工場の操業を中断することなく、川口工場の全職場を移転し、同年一二月一日には移転を完了するという方針がとられた。その際の人員編成計画は、移転する従業員ができるだけ移転先工場でも従来の仕事を続けられることを基本としながらも、別の仕事に組み入れたり、逆に移転先工場の従業員が川口工場から移転して来る仕事の工程を受持つことなど、川口工場からの移転者と上尾工場の人員とを合わせて工程間での編成替えを行う必要があり、そのような従業員に対する研修を行う必要があった。そこで、移転実施の約三か月前には人員を確定するという方針がとられた。そして、昭和六〇年六月ころ、川口工場の全従業員について、移転についての意向を打診したうえ、全体の人員編成計画を策定し、同年一〇月ころにかけて第一次の群馬工場への移転の最終人員を確定して、翌六一年一月から第一次移転を実施し、同様にして、同年三月下旬から第二次の移転(上尾工場)、同年六月から第三次移転(群馬工場)、同年一〇月から第四次移転(上尾工場)を行うという手順で計画を実施し、同年一二月には移転を完了した。

(三) 原告嘉山に対しては、昭和六〇年六月二一日、豊田係長及び門馬組長が個人面談をしたところ、原告嘉山は「上尾には行きたくない。川口工場の閉鎖には反対である。」旨応答し、また、原告東に対しては、同年六月二五日、豊田係長及び佐貝工長が個人面談をしたところ、原告東は「上尾工場には行きたくない。川口工場の閉鎖そのものに反対である。とにかく川口工場に残してほしい。」旨応答した(なお、原告東は、昭和六〇年六月二五日に個別面談を受けたことはない旨供述するが、供述自体に照らして、右供述の部分は採用できない。)。

(四) 原告らは、昭和六〇年三月ころから、当時所属していた日産労組の職場集会において、工場閉鎖そのものについての組合員の意見を聴取しない理由を問い質すなど、移転計画に対して批判的な態度を表明した。その後、原告らは、訴外恩田和義とともに、同年一〇月二日、日産労組を脱退して全国一般東京に加盟し、同組合の日産ディーゼル分会を結成して、以後、川口工場閉鎖反対運動を積極的に展開した。

(五) 被告は、右の昭和六〇年六月の個別面談の結果により原告らを移転対象者から外し、移転終了予定の昭和六一年一二月の三か月前である昭和六一年九月をもって原告らを被解雇者と確定した。

右認定の事実によれば、被告は、川口工場移転計画において、川口工場移転に賛成・協力し、転勤に同意する従業員は整理対象としないが、転勤に同意しない従業員は整理対象(任意退職または整理解雇)とするとの方針を立てていたことが認められ、この方針自体は不合理なものとはいえないところ、原告らは、いずれも川口工場の移転そのものに反対し、工場移転に対する反対運動を積極的に展開しており、移転先に転勤したくない旨を表明したばかりか、転勤同意の意思表明の最終期限である昭和六一年九月までにその意思表明をしなかったことから、被告は、原告らを整理対象者としたものであることが明らかである。

4  以上のとおりであって、被告には人員整理の必要性があり、かつ原告らが整理対象の基準に該当したものであるから、原告らについて就業規則六八条一項二号所定の「やむをえない業務上の都合」に該当する事由が一応存在するものと認めるのが相当である。

三  そこで、再抗弁1(解雇権の濫用)について判断する。

1  再抗弁1の各事実のうち、被告が原告嘉山に対しては昭和六〇年六月二一日に上尾工場へ異動するか否かの個別面談を行ったのを最後に、また、原告東に対しては同月二五日に上尾工場への異動についての個別面談を行ったのを最後に、以後一切意思確認を行わなかったこと(再抗弁1の(一))、被告が原告らに対し、上尾工場への異動の業務命令を出さなかったこと(同(二))、被告が川口工場移転計画及び原告らの所属する第二機械課移転の具体的な内容の発表においても、約三〇〇名の余剰人員が生じる予定であることは一切説明せず、また、移転に協力しない場合には解雇する旨を告げず、しかも川口工場の移転に賛成・協力し、転勤に同意するとの意思表明の最終期限が昭和六一年九月である旨の説明もしなかったこと(同(三))、原告らが昭和六一年一一月二〇日ころ被告に対して上尾工場への転勤に応じる意思表明をしたこと(同(四))並びに川口工場移転計画では約三〇〇名の余剰人員が発生する予定であったが、そのうちの約一〇〇名が退職し、残りの約二〇〇名は上尾又は群馬の各工場で余剰人員として抱えたこと(同(五))は、いずれも当事者間に争いがない。

2  そして、(証拠略)の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 原告らの所属していた第二機械課では、昭和六〇年三月二七日、菊竹課長が、三月下旬をもって上尾工場に移転する旨を発表し、それに続いて各従業員に対する意向打診が行われた。

その際、原告嘉山は、意向打診をした上司の門馬組長から「06(ママ)推進区は上尾に決ったがどうするのか。」と尋ねられたのに対し、「保育園に通う二人の子供の送迎のことがあるので、川口工場に残してもらいたい。しかし、業務命令が出れば上尾に行くしかない。」旨応答した。また、原告東は、右意向打診をした佐貝工長から「09推進区は上尾になった。いいかげんに反対はやめろ。」との趣旨の発言があったので、「おれは通えるけれども、それより前にこの工場閉鎖で辞めなければならない人がいっぱいいる。佐貝工長は日産労組の常任委員までやったんだから少しそのへんのことを考えた方がいいのではないか。」と応答した。

(二) その後、同年六月二一日、原告嘉山は、前記のとおり豊田係長から個人面談を受けたが、その際にも「上尾に行きたくない。最終的に業務命令が出れば仕方ない。」旨の答えをした(なお、この点、証人豊田五郎は、原告嘉山は業務命令が出ればしかたない旨応答したことを否定し、乙第二四号証にも同様の供述部分が存するが、乙第二〇号証には、いったん「会社命令がどうかはっきりしてくれ。」と記載された文字が抹消されているように見えるところ、右抹消部分についての同証人の証言と乙第二四号証の同人の供述部分とは整合性がないことから、同証人の右業務命令の点を否定する証言及び供述部分は信用できない。)。

(三) 被告が従業員に対してした転勤同意の意思確認は、昭和六〇年六月に行った意思確認が最終的なものであったが、それにもかかわらず、被告は原告らに対し、右意思確認が最終的なものであることの説明をしなかった。そればかりか、被告は、川口工場の移転に賛成・協力し、転勤に同意する限り雇用は確保することも従業員に告げなかった(なお、この点について、証人樫原靖彦は、移転に協力する限り雇用は確保することを職制を使って徹底したとして、あたかも移転に協力する限り雇用は確保する旨を従業員に対しても告げたかのような証言をしている。しかしながら、そうであれば、雇用の確保という極めて重要な問題について個別面談の際に説明されるべきであるところ、証人豊田五郎の証言によれば、同人は原告嘉山に対し、個人的な見解として「やっかいなことになる。」と告げたに止り、職制であった右豊田は解雇についての指示を上司から受けていないことが認められ、被告の方針として川口工場の移転に賛成・協力し、転勤に同意する限り雇用は確保することを告げたとは認められず、右証人樫原靖彦の右証言部分は信用できない。)。

(四) 原告嘉山の所属していた60推進区は昭和六一年三月に上尾工場に移転したが、被告は、その移転の三か月前である昭和六〇年一二月の時点でも原告嘉山に対して移転に応じるか否かの意思確認を行わず、しかも転勤同意の意思表明の最終期限である昭和六一年九月の時点でさえも右意思確認をしなかった。原告嘉山は、自己の所属する60推進区の移転が迫った昭和六一年三月下旬ころ、門馬組長に「明日からどうなるのか。」尋ねたところ、同人は「あとのことは森係長から指示を仰いでくれ。」と言われるのみであった。そして、原告嘉山は、昭和六一年四月以降、機械清掃等に従事していた。

(五) また、原告東の所属していた09推進区は昭和六一年九月に上尾工場に移転したが、被告は、その移転の三か月前である昭和六一年六月の時点でも原告東に対して移転に応じるか否かの意思確認を行わず、しかも転勤同意の意思表明の最終期限である昭和六一年九月の時点でさえも右意思確認をしなかった。その直前の同年八月中旬ころ、原告東は、佐貝工長から「もう09も上尾に行く。一人残ってどうするんだ。おれと一緒に反対やめて上尾に行こう。」と言われたので、「業務命令でもでれば別だが、まだ分会として会社と話もしていないし、書記長という立場もあるので、個人的にはそう簡単に答えられない。」と返答した。

3  以上1及び2の事実に基づいて考察する。

(一) 被告は、当初約三〇〇名発生する冗員を一応は移転先工場で抱える方針でいたのに対し、実際には約二〇〇名を抱えたにすぎないのであるから、原告らが同意しさえすれば、両名を移転先工場において抱えられない筈はなく、その意味において解雇権の発動を回避することが十分可能であったものと考えられる。しかるに、被告は本件川口工場移転計画の実施に当たり、従業員に対し、右移転に賛成・協力し、指示に同意する限り解雇しない(逆に同意しなければ整理対象とする)との方針を明示せず、転勤に同意するとの意思表明の最終期限が昭和六一年九月であることも何ら説明することなく、原告らに対しては右最終期限の一年以上前に行った意思確認を最後に一切意思確認を行わず、かつ異動の業務命令も出していないのであって、原告らが本件解雇の時点では転勤に同意する意思表明をしていたことを考え合わせるならば、被告は、解雇権の発動を回避するための努力を怠ったものと評価せざるを得ない。

(二) 被告は、昭和六〇年六月以降一切の意思確認を行わなかったのは、原告らが移転反対運動を通じて転勤に同意しない意思を明確に表明していたからであるし、業務命令を発しないことは長年の慣行であり、命令を発したところで原告らは拒否することは明白であったから、被告の措置は信義に反するものではないと主張する。

そこで考えるに、なるほど、原告らは川口工場移転計画の発表直後から工場移転反対を表明し、分会結成後は積極的な反対運動を行っていたのであり、本件のような工場の全面移転の際には、転勤に同意しない限り雇用が確保されないおそれがあることは通常予測されるところである。

しかしながら、転勤についての同意・不同意と移転反対運動とは一応別個の事柄であるし、しかも原告らは業務命令が出れば転勤に応じる意思を有し、かつ最終的には転勤に同意する意思表明をしていたのである。また、証人樫原靖彦の証言によれば、被告は日産労組との間では業務命令を出さないのを長年の慣行としていることが認められるけれども、原告らは日産労組を脱退して分会を結成していたのであるから、右慣行は分会との間には妥当しない。しかるに、被告は、昭和六〇年六月に意思確認を行ったのみで、以後は原告らが移転反対運動を行っていることをもって原告らが転勤に同意しないものと認め、業務命令も出さず、整理対象としたものであって、結局は原告らが移転反対運動を行ったことをもって解雇権を発動したに等しく、信義則に反しないとの主張は採用できない。

4  以上検討したところを総合すれば、本件解雇は解雇権の濫用であって無効であると認めるのが相当である。

第二賃金請求について

一  右のとおり、原告らは、被告に対して雇用契約上の権利を有する地位にあるのに、被告が原告らの就労を拒否しているのであるから、原告らは、昭和六一年一二月三日以降も賃金請求権を有している。

二  そこで、原告らの請求し得る賃金等について検討する。

1  請求原因3(一)の事実は当事者間に争いがない。

2  賃金の昇給について

(一) 請求原因3(二)の(1)、(2)の事実は当事者間に争いがない。

(二) 被告は、昇給制度は具体的な個人に対して査定による加減を行う制度であるから、平均昇給率がそのまま適用されることにはならないと主張する。

そこで考えるに、原告らの賃金請求は、無効な本件解雇に基づく原告らの就労不能が被告の責に帰すべき事由により生じた反対給付請求権としての賃金請求権に基づくものであるから、本件解雇処分がなければ得られたであろう賃金額を客観的、合理的に判定して確定するほかない。そうすると、本件解雇の後に労働協約によって賃金の改訂がなされたときには、原告らについても当然に同様の改訂がなされたものとして取扱われるべきである。

(三) ところで、本件では、原告らはすでに日産労組を脱退して別組合たる分会を結成し、右分会との間では労働協約がなされてはいないが、日産労組が原告ら以外の大多数の従業員で構成される組合であることからすれば、労働組合法一七条により、日産労組との労働協約の一般的拘束力が原告らにも及ぶものと解される。そして、昇給制度は具体的な個人に対して査定による加減を行うものではあるが、無効な解雇によって就労を拒否された結果、査定の基礎となる資料及び実績などを欠いている本件においては、原告らは、少なくとも平均昇給率の限度で右昇給についての労働協約の効力を享受するものと解するのが相当である。もとより、従前の査定結果によって現実に就労していない期間の査定を推定することも可能ではあるが、査定はその査定期間の資料に基づいてなされるものであるから、過去の査定をもって直ちに将来の査定を推定することは相当ではないというべきである。

(四) そうすると、原告らの昭和六二年四月一日以降の賃金は、原告嘉山が金二〇万三一一五円、原告東が金二〇万六九四〇円となる。

3  一時金について

(一) 請求原因3(三)の(1)、(2)の事実は当事者間に争いがない。

(二) 被告は、一時金について、出勤率一〇〇パーセント、成績分平均額がそのまま原告らに適用されるものではないと主張し、なるほど(証拠略)によれば、原告らの過去の出勤率は常に一〇〇パーセントでなかったことが認められる。

しかしながら、原告らは、被告による無効な本件解雇によって就労を拒否されていたのであるから、労務提供ができなかったことを推認させる資料がない以上、一〇〇パーセント出勤したことにほかならないし、過去の査定をもって直ちに将来の査定を推定することが相当でないのは前段で述べたとおりである。したがって、原告らについては、平均額が支給されるものとして取扱うのが相当である。

(三) そうすると、原告らの昭和六二年夏季及び同年冬季の一時金の額は別紙計算書(略)記載のとおりとなる。

4  以上によれば、原告らは、昭和六一年一二月から昭和六二年一二月末までは別紙計算書記載のとおりの賃金請求権を有しており、昭和六三年一月一日以降は、毎月二五日限り、原告嘉山については金二〇万三一一五円の、原告東については金二〇万六九四〇円の賃金請求権を有していることとなる。

なお、公租・公課の源泉徴収は、徴収義務者が給与所得者に代ってその公租・公課を納入するためになされるものであるから、私法上の権利関係の内容に何らの消長も来すものではない。そうすると、被告主張のように、源泉徴収税額を控除した額をもって支払額(給付内容)とすることは妥当でない。

第三結論

よって、原告らの本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 原健三郎 裁判官 伊東正彦 裁判官 稲元富保)

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